由来とみどころ

◆函谷鉾の由来とみどころ

 函谷鉾は、四条通烏丸西入ル函谷鉾町の鉾で応仁の乱(一四六七~一四七七)以前に起源をもち、くじ取らずの鉾として、鉾では長刀鉾に次いで第二番目に巡行し鉾櫓、屋根の規模は大きい方である。

 鉾の名は中国戦国時代(前四〇三~二二一)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて関門を開かせ難を逃れたと言う故事にちなんでつけられている。

御池河原町 辻廻し写真縦.jpgのサムネール画像 鉾頭の三日月と山形は、山中の闇をあらわし真木の上端し近くには孟嘗君、その下に雌雄(しゆう)の鶏が祀られている。

 鉾を飾る工芸品・染織品の主なものは軒裏絵として描かれている今尾景年筆(一八四五~一九二四)の「鶏鴉図」をはじめ、前懸は旧約聖書創世紀の説話「イサクに水を供するリベカ」を題材にした十六世紀の毛織物で重要文化財のタペストリーである。この他見送りは古く弘法大師筆(こうぼうだいし)と伝えられる紺地金泥(こんじきんでい)の「金剛界礼懺文」(こんごうかいらいさんもん)と天保一〇年(一八三九)これを模織した立派な西陣織見送がある。又水引は山鹿清華(かまがせいか一八八五~一九八一)の手織錦「群鶏草花図」(ぐんけいそうかず)、胴懸けは「梅に虎文」を織り出した十七世紀李氏朝鮮絨毯、「赤地花唐草文」ペルシャ絨毯、「玉取獅子文」中国絨毯の三種類がある。

 いずれも優れたものばかりであるが、近年の新しいものとしては、皆川泰蔵作「モンサンミッシェル」前掛「エジプト天空図」見送りや文化勲章受賞者、蓮田修吾郎作「梅と鶯」の金銅彫刻の欄縁金具がある。

 ちなみに函谷鉾は、天明の大火(一七八八)に焼失、五十年後の天保十年(一八三九)に町在住の先人達の大変な努力の積み重ねにより、やっと今の函谷鉾が復元されたのである。

*前懸「イサクに水を供するリベカ」タペストリーは重要文化財で詳しく紹介致します。