水引、裾幕

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水引は屋根の回りの梁から四本の化粧柱を囲み、欄縁に座る囃子方の頭上を囲むように掛けられる上(天)水引と、欄縁のすぐ下に掛けられ、胴掛、前掛などの上部を飾る下水引がある。




上水引「赤」

巡行用には緋羅紗地に金縫神紋が切り付られたものが使われ、鉾の前面、後面には帽額(もこう)紋が二つ、巡行時には金色の房が二本垂らされる。左右面には二つの帽額紋の間に巴紋が入る。









上水引「水色」

色緞子地に緋色の神紋が切り付けられたもので、十二日の曳き初めから宵山まで使われている。神紋の配分は巡行用の緋羅紗地のものと同じ。







上水引「翠簾(すいれん)」

のサムネール画像左右両端の簾(すだれ)は少し長めに巻き上げられ、中央は幅広で左右よりは短く巻き上げられて、簾の縁には緑地に白く帽額紋(木瓜紋)が散らされ、上縁の神紋の間には源氏蝶の刺繍が施された涼しげな雰囲気のもので、十二日の曳き初めのときだけ使われている。大正十四年(一九二五)に町内横山長助が喜寿の祝いで寄贈した馬渕冨之助製作のもの。







下水引「群鶏草花図」

笛方が並ぶ左右の欄縁のすぐ下の水引は山鹿清華(やまがせいか)の手織錦で昭和十三年(一九三八)に同氏より寄贈されたもの。函谷鉾の由来、函谷関は孟嘗君の「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の説話に因む鶏の群れと草花の図で、色彩豊かに目一杯に所狭しと鶏が列をなし、函谷鉾の宝の一つとされている。
山鹿清華は明治十八年(一八八五)京都烏丸三条上ルに生まれ、日本画を学び絵画を織物で表現し、昭和三十二年(一九五七)に日本美術院会員。昭和五十六年(一九八一)に九十六歳で没。函谷鉾下水引の群鶏図は五十三歳の円熟期に製作し、祇園祭山鉾の懸装品では他に船鉾前掛、白楽天山見送、菊水鉾水引、北観音山水引がある。






下水引「雲竜文」

明治三十二年(一八九九)に朱地に金雲丸龍の錦織。紫地蜀江鳳凰文と赤地金洋花文の2枚の水引が東西(前後)それぞれ二枚づつ製作されたが、傷みが激しく、現在は昭和五十八年(一九八三)に復元新調された。この前後二枚づつの下水引は、前はゴブラン織の前掛に、後は金剛界礼懺文の見送に隠れて巡行時にはほとんど見ることはできないが、宵山まで、あるいは雨天巡行で前掛、見送が外されているときに見ることができる。金襴に織られた円龍文はほとんど気がつかないが、他の山鉾にはよく見られる"龍"の図柄の函谷鉾唯一のものである。







裾幕

鉾の左右側面の胴掛の下部にあり、縄絡みや辻回し時に車輪に敷く竹ささらを巡行中に隠すように覆うのが裾幕で、下幕とも縄隠しともいわれる。昭和五年(一九三〇)に新調されたものまでは麻の紺地と濃黄地の太い縦縞に八坂神社の神紋である木瓜紋(帽額紋)を白く染め抜いたものだったが、現在は麻地の鯨幕(黒、白の縦縞)に黒地は唐花紋を白く染め抜き、白地は巴紋を黒く染め抜いている。

祇園祭について、そして函谷鉾・保存会について、詳しくご紹介しております。「鉾や山を見る」・「巡行を楽しむ」だけでも良いのですが、その歴史、由来、願いなど多くの人々が積み上げてきたことを知って、実際の鉾や山をご覧いただくとより深く楽しんでいただけるのではないでしょうか。

そんな願いを込めてご紹介しておりますので、ぜひじっくり「函谷鉾」を知ってください。