囃子方と祇園囃子

◆特別なときの囃子

二階囃子の最後の日の最後の囃子、宵山の鉾囃子の最後の囃子、日和神楽の最後の囃子、巡行最後の囃子など特別なときは終曲の「若」に入る前に「千鳥」から「流し」に移り、「流し」では笛は通常「渡り」のメロディーだが途中「筑紫」に転じ、「萬歳」「朝日」などのメロディーに変えたりするアドリブ(最近は朝日の曲もアドリブが入る。アドリブから筑紫のメロディーに戻ると太鼓が「押さえ、一本、二本」のバチ捌きで囃子を盛り上げて終曲の「若」に入る。通常なら「若」の一遍で終るところを三遍回し、納め囃子を五遍回し、それも一遍ごとに徐々に速く囃され、名残惜しさと開放感を表す。

◆二階囃子

28.二階囃子.jpg六月中頃、囃子方の血が騒ぎはじめ、吉符入り(きっぷいり)の案内葉書が配達されると囃子方の気分は高揚する。そして迎える七月一日の吉符入り、午後四時に函谷鉾町会所に集合した囃子方は囃子の道具を準備し、揃いの浴衣に着替える。やがて太鼓のテンテンという音に続いて重く低い掛け声と共に笛、鉦が続く。「囃子始め」は約一時間、「出」から「戻り」までその年の祭の無事を祈るように囃される。途中、神楽、唐子の演奏時には稚児人形嘉多丸君が幔幕と提灯に飾られ開け放たれた町会所二階から一般に披露される。囃子が終り、後片付けされた練習場では嘉多丸会の総会が行われ、祭の注意事項、連絡事項が伝達され、新入会員が紹介される。やがて会員の前に膳が並べられ、お神酒とお下がりを受け、新入会員のお披露目を手に囃子方の「吉符入り」は終る。七月二日から八日まで、午後七時から九時過ぎまでの囃子の練習が二階囃子と呼ばれ、道行く人が足を止め、祖父母が孫を連れて眺める姿が祇園祭の始まりの風情である。

◆鉾囃子

宵山 鉾 横写真.jpg七月十二日の曳き初めの日の夜から駒形提灯に灯が入り鉾上での囃子が始まる。十六日の宵山まで日が進むにつれて人出は増え、祭り気分は最高潮に達する。鉾の拝観者も囃子の大音量に仰天しながら、鉾上から眺める四条通の人の波にまた驚く。十五日から(十四日からの年も有る)の歩行者天国では午後七時からの囃子も午後六時、午後五時と繰り上がる。十六日の宵宮は宵山と呼ばれ、山鉾町界隈は人で埋め尽くされる。午後十時ごろ宵山最後の鉾囃子が終った瞬間、鉾の前後を照らしていた駒形提灯が熱気に溢れていた宵山の幕を降ろすように一斉に落とされるのは壮観。と同時に観衆をも巻き込んだ囃子方の手締めが行われ、鉦、太鼓が鉾から下ろされ、囃子方は日和神楽に向かう。

◆日和神楽(ひよりかぐら)

32.日和神楽.jpg宵山最後の囃子の熱気もそのままに鉾を降りた囃子方は鉦、太鼓を木製の組立屋台に備え付け、囃子を奏でながら四条通の人波を掻き分け東へ進む。四条寺町の御旅所で明日の巡行の晴天を願う「日和神楽」という行事である。道中、最後の鉾囃子で鉾上から見送った他の鉾の日和神楽行列とすれ違うときには微妙に違う祇園囃子が重なり合い、挨拶を交わす。お互い知己同士の囃子方の交歓風景も見られる。御旅所で神官のお祓いを受け、観衆の見守る中、唐子を奉納演奏し、戻り囃子に移った瞬間、屋台は西へ出発。従来は四条通をそのまま西へ帰町していたが平成十三年より寺町通南下、松原通西行、烏丸通を北上する昭和三十までの旧巡行路のコースをとり、江戸時代までの寄り町である貞安前之町(寺町通四条下る)、蓮池町(現、京極町=寺町通松原上る)、葛龍屋町(高倉通高辻下る)高辻尻町(室町通高辻下る)へ立ち寄り、町内会長に挨拶し帰町する。道すがら囃子方によるチマキの手渡しも行われ、山鉾の通らなくなった旧巡行路の人達にも喜ばれている。

◆奉納囃子

33.奉納囃子.jpg七月十七日夕刻、四条寺町の八坂神社御旅所に神輿が着輿され二十四日に発輿されるまで、十八日から二十三日までの間、毎晩七時から九時ごろまで祇園囃子が奉納される。西御殿の前で行われ、囃子のある十二の山鉾が受け持ち、二年に一度当番日が回ってくる。駐輿中の神輿にお参りする人も多い。